書名 | 銅柱余録 乾坤 |
---|---|
解説 | 筆彩色絵入 |
冊数 | 1冊 |
著者 | |
絵師 | |
版元(出版社) | |
刊年 | 明治十六年序・写 |
欄外解説 | |
備考 | 美濃判。渋引き表紙に本文と同筆の書題簽「銅柱餘録 乾(坤)」付。奥書なし。本文は乾冊に産業部・交易・産業部・冠婚葬祭・ヲロツコ夷の部を、坤冊にスメレンクル夷の部上・スメレンクル夷の部下・附録を収める。『銅柱余録』は北蝦夷(カラフト)の地誌で、間宮林蔵述・村上貞助(秦貞廉)編、文化四(1807)年成立、伝本には写本のほか安政二(1855)年刊行の版本(『北蝦夷図説』四冊)も存在する。本書はそれらのうちの後半部分にあたるが、版本と比するに内容に異同も見受けられる。なお、乾冊見返しに「高月東海先生閲/竹川竹斎先生著/銅柱餘録 乾/ 佐伯氏畫並書」の著者表記があり、間宮・村上(秦)の名とは異なる点も注目される。高月東海と竹川竹斎はともに伊勢の文化人。推測するに、本書の元本が四冊のうちの後半二冊のみで伝わり、そこには著者名が記されていなかったため、本書にはその写し手によって仮託された著者名が記されたのではないか。「畫書人」として記されている佐伯玉置、および序の筆者石嵜柳塘(柳堂)なる人物は不詳だが、おそらく伊勢の人で、郷里の文化人高月東海および竹川竹斎に本書の著者を仮託したものでもあろうか。坤冊序文には「明治十六年二月」とありこのころの書写であろう。一部に僅か虫食あるも保存ほぼ良。 |