建物紹介

竣工 昭和6(1931)年10月
設計 東京都市建築研究所
施工 大林組
構造 鉄筋コンクリート構造
規模 地上4階地下1階

建物のあゆみ

大正2(1913)年の神田の大火と同12(1923)年の関東大震災、十余年の間に2回も焼け出された経験からそれまでの木造をやめ、鉄筋コンクリート造で当時としてできうる限りの強度を備えた店舗を昭和6(1931)年に竣工しました。当時は古書業界では唯一の高層ビルとして話題を呼び、モダンな高層建築として雑誌『主婦の友』や『実業之日本』などにも紹介されました。

一誠堂書店

1階・2階部分を店舗、3階・4階を住居部分として店主とその家族、住み込みの従業員が暮らしていました。

太平洋戦争の際には神田界隈も焼け野原となりましたが、古書店街の目抜き通りであった一丁目電車通り南側と二丁目は奇跡的に空襲を免れ戦前のままの姿で残り(これは一説によるとハーバード大学にいた日本研究者セルゲイ・エリセーエフ氏が米軍に、爆撃を避けるよう進言したためと言われています)、当店舗も戦禍を免れました。

先年の東日本大震災の折には大きな揺れに見舞われるも被害はほぼなく、経年による多少の補修・補強はあれど幸い築90年を経て今もなお頑健さを保ち、現在に至っています。

1階部分は石材、2階以上はタイル張りです。
深緑色の装飾材を多用しています。

一階正面の屋号は徳富蘇峰氏の筆によるものです。

最上部分には掲揚塔が、又1階西側面には五輪デザインの配された国旗掲揚器(現在は取り外し保管しています)があります。

店舗出入口の左右に配された、書棚付きのショーウィンドウ。

正面入り口上部を飾る、金文字の屋号を入れたステンドグラス。直線で構成された外装との調和が感じられます。

大理石を用いた1階は重厚感、いっぽう木製の2階は温かみがあります。

1階

2階

階段店舗2階へと続く階段。大理石造りで、立体的な装飾をあしらった丸みを帯びたデザイン。球体のアールデコ調の照明とよく調和しています。

天井漆喰塗の装飾はシンプルなデザイン。整然と美しく等間隔に配された多めの梁は、耐荷重性を重視する書店店舗ならではのもの。

什器壁伝いに配された書架はほぼ当時のまま。今も現役です。

時計1階店舗のものには振り子が付いていますが実は電気を動力としており、2階店舗および応接室にあるものと接続し連動しています。ときおり進みや遅れもありますが、今に至るまでひっそりと時を刻み続けています。(阿部式電気親子時計 PAT No. 35413・31144)

1階

2階

會津八一書額年記の「丁丑」は昭和12(1937)年で、弊店の創業三十五周年の年にあたります。「秋艸道人」は會津八一氏の雅号。当時は早稲田大学文学部教授をつとめており、初代店主と同郷であることもありご愛顧いただいていたそうで、記念に贈られたものかと思われます。